苦言は薬なり、甘言は病いなり

ふと、「あったんだ」と気付く、

普段は目に見えない宝ものの一つをご紹介します。

 

それは人です。

どんな人かと言いますと、

 

「これはあくまで私がそう思うだけなんだけど、言わせてもらうと…」と前置きをした上で、私の問題点を指摘してくれる人です。

 

どういうところがなぜまずいと思うのか、どうしたらいいと思うのかを説明してくれる人です。

 

言わなくてもいいことですし、むしろ言わないほうが無難にやり過ごせそうなところを、あえてピシッと言ってくれる人は、ありがたい存在だなぁと思います。ピシッと言った上で、それを押しつけるのではなく、一緒に考えてくれる人です。

 

人の言葉に耳を貸さなくなってしまったら、そういう言葉は聞こえなくなってしまうと思います。

そういう言葉が聞こえてくるような環境を保ちたい私は、自分が不完全な人であることを受け入れて、意固地になってしまわないようにしたいと思います。

 

 

言いにくいこと、思ったことを伝えてくれる人がいたら(ただし押しつけようとしない)、それを「そう思ってるんやね」と受け入れて、言葉を交わしながら、吟味していく。

 

こういう関係性を築けるような人がいて、

そんなことができるような私自身で、よかったです。

 

 

………

p.s.

子どもとは、こうした関係性を(一時的なものであっても)築きやすいなぁと感じています。

「服ダサい!」

「髪型、変えたら?」

「眉毛、変」

なかなかピシッと言ってくれる人、大人になると見つけにくいと思います。

ぜひ、問題点を指摘するだけではなくて、どうしたら私が魅力的な人に近づけるかについて一緒に吟味してほしいものです。

(by 服がダサくて、髪型微妙で眉毛変な人)

………

 

p.s.

言葉の意味に重きを置いていたら、他人から自分に対してかけられる言葉の意味と、それが示す自分に対する評価に敏感になるかもしれません。

例えば、「服ダサい」と言われたら、「この服はダサいんだ!」と思う。

 

逆に、言葉には大した意味はないと思っていたら、聞こえてくる言葉を風の音のようにさらさらと聞き流すかもしれません。

例えば、「服ダサい」と言われても、気に止めない。

 

「服ダサい」という言葉を発した人は、何かを知覚して、それに対する感じを表現するのに、この言葉を充てた?それとも文脈に関係なく、ただの口癖が出た?

…言葉の受け手には、「服ダサい」と言った真意がよく分かりません。

 

…あかん、長くなりそうなのでやめときます。

 

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「自分」という作品は、人との間で創られていっているんだなぁ…って、思います。

 

 

人間らしくなってきましたかね。

 

 

 

「私」という一人の人間には、たくさんの人のいろんなストーリーが、織り込まれているんですね。

 

 

意固地にならずに、聞こえてきた言葉をのほほんと受け止めながら、さらさらと風にそよぐ柳のように、ひらひらと生きていけたらいいなと思います。

 

 

井中星を見れば見るところ数星に過ぎず

 

 

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今日は友人に

 

「やりたいこと、やったらいいじゃん!」

「自分が輝きながら、楽しく過ごせることが一番大事!!それが一番大事なんだよ!」

「自分の幸せを一番大事にしなさい!」

「行動!行動!」

 

と、励ましていただきました。

 

 

ありがとうねぇ。