東京に出てきて7年目

大学入学をきっかけにして、

東京に出てきて7年目に入りました。

 

大学1年生の4月は、かなりのホームシック状態に陥り、4月半ばには退学まで考えたほどでした。

 

幸いかどうかは分かりませんが、4月末にテニス部の体験練習で靭帯を切断するけがを負い、2週間くらい母が上京して、身の回りの世話をしてくれました。

 

それでだいぶ、ホームシックは落ち着いたような気がします。

 

その後も数週間に一度は帰省していましたが、なんとか冬前には、東京での暮らしにも慣れてきました。

 

 

……

 

ここ最近は、東京での暮らしにも慣れて、お盆とお正月に帰省するくらいになっていました。

 

帰省した時の過ごし方ですが、

積もっていた話をバーッと話してスッキリした後は、1人で部屋にこもるか、散歩に出かけるか、本屋に行くか、カフェに行くか、寝るか、みたいな感じで、ぼーっと過ごしています。

 

昔から、1人で過ごす時間が好きでした。

 

……

 

東京での暮らしは、人との出会いの場がたくさんあって、とても楽しいです。

 

私は人に対する興味が強いので、いろんな人に出会える町に身を置くことができて、本当に幸運だと思ってます。

 

……

 

一方で、1人になってぼーっとじっくり考えたい時、1人になれる場所をなかなか見つけられずにいます。

 

家の中にいてもどこにいても、いつでも他人の気配を感じずにはいられず、なかなか落ち着くことができません。

 

オートバイの音、足音、夜中に歩いている人の声…

常に人が活動している音が聞こえます。

 

また、公園に行っても、

自然豊かな場所に行っても、人がいます。

 

銭湯に行っても、もちろん人がいます。

 

……

 

安心しきって、1人でぼーっと過ごせるような時間が欲しいのですが、なかなか東京での暮らしの中では確保できずにいます。

 

確保できないことで、ストレスが溜まりやすく、疲れが取れにくくなっています。

 

行き詰まった状態から抜け出すには、ぼーっとリラックスして過ごす時間が不可欠です。

緊張状態でカチコチになった頭や心を、いったん弛緩させることが大切です。

 

そこで、そういう時には旅行に出かけます。

 

(卒論執筆に取り掛かり始めた11月に松山に旅行に出かけたのも、行き詰まった現状を打開するためでした。)

 

目に見えるもの、聞こえるもの、匂うもの、みんな新鮮で、五感が刺激されて気分がリフレッシュされます。

 

また、誰にも拘束されず、自分の気の向くままに自由に行動できるのも楽しいです。

 

……

 

東京での暮らしを続けるには、定期的に旅行に行って、気分転換をすることが必要です。

 

でも、大学を卒業した今、東京に居続ける必然性は特にありません。

 

もちろん、たくさんのいろんな機会があるのは、東京ならではで、大変ありがたいのですが。

 

……

 

中高生の時に、学校の友達と遊んだことは、数えるくらいしかありません。

わざわざ休日に遊ぶのは疲れます。気を遣うので。

 

ベッドの上でゴロゴロしたり、散歩に出かけたりするほうが、日頃の疲れを取るには効果的です。

 

人が好きなのに、好きだからかもしれませんが、人に対してあれこれと思いを巡らせすぎて疲れます。

 

私の対応の仕方が誰かを不快な気分にさせてしまっているのではないか、いや気にしていないかもしれない、などとうだうだと考えては疲れます。

 

人とのコミュニケーションによってストレスを溜め込みやすい私には、気軽に気分をリフレッシュできるような環境があるところに住むのがいい気がしています。

 

 

東京で7年暮らし、

いろいろ経験してみて気付いたこと…

 

 

我ながら手間がかかる人だと思いますが、

自分のためにも、

住むところをよく考えたいと思います。

 

 

 

…… 

 

この、うだうだと長ったらしい文章を書いている時点で、疲れている気がします。

 

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常に人を感じる空間に身を置いていることに、疲れました。

 

人との繊細なやり取りが必要になる仕事をするには、それができるように、普段は人を感じない空間に身を置いていたいです。

 

 

……

 

 

今までどんな体験をしてきたか、私にはわからない人(みんな)とコミュニケーションを取る時、自分が暗黙のうちに前提としていたことが、相手にとって凶器になることがあります。

 

多様な背景をもって生きている他の人のことを理解したり、その人の役に立てるような行為をしたりすることは、とても難しいことだと思っています。

 

他の人になることはできません。できるのは、言葉や何らかの表現を通して、その人のことを理解しようと努めることです。

 

共生社会は、交渉社会。

 

自分の言葉を「あんたはそう思っとんか」「あんたはそれが当たり前なんか」と、意味あるものとして聞いてくれる人がいるか。

 

「あんた、そりゃ大変やわ」と共感して、自分の置かれた状況を変えてくれる手助けをしてくれる人がいるか。

 

言わなきゃ、他人からは無いものと見なされる。

言っても、伝わらないことがある。

交渉。

 

人の声をよく聞くこと。

言葉や表現が出てくる原理を知ろうとすること。

 

要求を表明する以上に、自分にとっての「当たり前」を話すことが、他人に対して働きかけるときに効力を持つんじゃないかなと思います。

 

 

何を言ってるのかよく分からなくなってきました…。

 

とにかく、人によって異なる「当たり前」の日常を垣間見るのが好きです。

 

 

 

 

✳︎言葉を操る能力が低く、言葉で表現することが苦手な私の言うことは適当なので、真面目に受け取らないでください。幻想にとらわれがちなので、自分でも何を言ってるのかよく分かりません。

✳︎また、今はこの枠組みで現状を捉えていますが、枠組み自体、時が流れていくうちに崩れてはできて…というふうに変化していくものだと思います。一人の人が今捉えることができるものなんて、壁に貼った付箋紙くらい、頼りにならないものです。ですので、吉本新喜劇のようにツッコミを入れていただけたらと思います。