何度も閉じ込めようとした「今」

日々の生活のなかで、「この瞬間を、時の流れに逆らって閉じ込めておきたい」と思う時がたまにあります。

 

たとえば、小学生の時の雨の日の帰り道。

静かにしとしとと振る雨、灰色の空、家の前の道にふんわりと漂ってくる草花の匂い。

 

「今当たり前のようにあるこの瞬間も、もう二度と経験できないって不思議…」とぼんやり思いながら、記憶に残そうとしたことは何度もある気がします。

 

たくさんの「今」が積み重なって、今があります。たくさんの「当たり前」が、当たり前ではなくなっていきました。

 

私の記憶に残っている過去の出来事を、人生の最後に、あるいは数十年に一回でも、もう一度ダイジェストで振り返ることができたら…

(未来には、技術の進歩でできるようになっているんじゃないかとも思います)

 

人は変化する

「当たり前」は変わっていく

 

そうした当たり前のことが、当たり前であると、もっとはっきりしっかり、知られるようになったら…

 

自分の人生のストーリーに雁字搦めになることを抑制することに役立つかもしれません。

 

ストーリーを編み直して、自分の人生の向かう方向を変えることも、できるようになるかもしれません。

 

 

……

 

一人ひとりが人生の主人公であり、その振る舞いは、その人の編み出したストーリー上で自然に行われていることであると思っています。

 

どんなストーリーがあるんだろう…と思いを馳せながら、よくわからない振る舞い方をする他の人を眺めています。