17歳の時に書いた日記

中学生の頃からつけていた日記を読み返しています。

 

「私、将来、法学部じゃなくて教育学部に行こうかな。根本にあるのは、いろんな人と出会いたいっていうこと。よく分からんけど、誰かの悲しみ苦しみを少しでも和らげられる人になりたい。せっかく今生きてるんやから、自分らしく生きて、人生楽しもう。いつもいつも正しいのは、他人の意見じゃない」

 

→こういうことを思ったと思えば、

人を信じられなくなるような事件が起こり、

「見る人みんな敵やと思って生きるしかないやん。自分の身は自分で守らねば…。もう誰も信じられない」

「人の弱みにつけこんで、自分の利益を上げようとしている人、喜んで私みたいな人に飛びつくんやろね。そういう人多いんやろね。頑張れ自分」

と日記に書いている。

 

「なんのために勉強しているのか。張り合うためじゃなくて、自分のためって思える夢をもちたい。ずっとこのままの状態でいられるわけじゃない」

 

「限りなく虚しさを感じる今日この頃。私、このまま行ったら、人間不信で心から笑うことを忘れた人間になりそう」

 

友人の発言「人に嫌なことされたら、その話聞くんも嫌やろうと思って、嫌だったことを親とかの誰にも言わんと自分の中に溜めて。一人でうわぁ〜〜ってなって。逆に迷惑をかけて…。だからいつか変わらなあかんと思うねんけど」

 

「勉強するのは、少しでも私のいる世界を広げて、私が思うよりも世界が素晴らしいことに気付きたいから。だから自分のため。逃げることは簡単だけど、逃げたら全てが終わる気がする。自分が生きやすくなっても、誰かを犠牲にするのは嫌。」

 

 

東大見学会にて、高校OBの彼女さんに

「将来何したいの?」と聞かれた私。

「とにかくみんな平和に暮らして…。でも一度きりの人生を人のために尽くして生きるのか、それとも平和にのんびり生きるみたいに、自分の幸せを追求するのかで悩んでいて…」

と話したら、閉会後にハグしてくれて、

「未来は自分で切り開くのよ」

(今聞いてもカッコイー。)と言葉をくれた。

 

 

 

……以下、18歳の私の言葉……

 

「大学生になったら、将来の夢の選択肢が広がるよね。一部の人間に支配される世界なんて嫌だ」

 

「賢くなって、固定化した価値観(my sense of value)を捨てて、自己実現していくねん。今はその準備期間」

 

「面倒くさくない人と友達になりたい。流されやすくない人と友達になりたい。(やっぱり東大に行かねば)」

 

 

……以下、浪人時代の私の言葉……

 

「人間的に好きな人には出会いたい。また日々が楽しくなると思うと。」

 

 

……いつ書いたか分からない言葉……

 

「自分の気持ちに素直になれば、

見えないことも、見えてくるはず」

 

 

……

 

今の私からはなかなか出てきそうもない言葉がありました。