半年前までの自分との違い

最近、過去の自分から離れていっているな…と感じます。

 

自分が車だとすると、空いた高速道路をアクセル踏んで、ブーン!と飛ばしていっているような感じがします。🚗💨💨💨

今までいた街から、どんどん離れていって、見える景色が変わってきたような感じがします。

 

 

なんでアクセルを踏んでいるのか?

 

簡単に答えてみます。

 

 

1. なんでアクセルを踏んでいる(ように過去の自分から離れていっている)のか?

 

1) 「変わりたい」という意識の高まり。

(車の旅🚗に例えると、「旅行にいきたい」という気持ちが高まった)

大学を卒業して、社会人として一人前にならないと…という意識が芽生え、このままではいけないと思った。一人前になるためにも、不要な荷物は置いていかないと…と思い始めた。

 

2) 変化を後押ししてくれる他者が周りにいるから。

(車の旅🚗に例えると、旅行に関する情報が集まり、実行に移しやすい状況ができている)

「変わりたいな…」と自分一人が思っていてもなかなか変われないものだと思いますが、幸いにも「今のあんたのこんなとこ、もういらんから捨てて行き!」「こうしたらもっと良くなると思うよ」「自分で自分のこと『こうだ』と決めつけているの、もったいないよ」などと声をかけてくれたり、変化を後押しするグッズや情報を与えてくれたりする人たちがいるおかげで、変化しやすい状況が作られています。

 

3) 日常生活で最低限やらねばならないことの負担が減った

(車の旅🚗に例えると、旅行に割ける、時間的・体力的・精神的余裕ができた)

毎日やることに追われていたり、毎日肉体的・精神的にヘトヘトになっていたりすると、なかなか今の自分から離れていこうとは思えないと思いますし、仮に思ったとしても実行できる余裕がないと思います。

「人生の夏休み」ということにして、頑張りスイッチをとりあえずオフにして、今は生活していければまあいいやというスタンスに切り替え、気楽になったことが大きいと思います。

書きながら思いましたが、これは1)「変わりたい」という意識の芽生えの前提条件になっている気がします。まあ、個人の意思だけでなく、外的な環境が急激に変化し、それに適応していく過程で否応なくそう思うようになった面もあると思いますが…(生理・心理・社会モデルに則れば、それぞれのシステムは互いに関連しあっている)。

 

4) 変化している私を「いいね」とポジティブに評価してくれる他者がいるから。

(車の旅🚗に例えると、…うーん、何でしょう…。方向性は間違ってないんだと認識できるという意味では、案内板の存在でしょうか?)

 

ちょっと頑張ってみたら、「いいじゃん!」「いいね」「その意気」と声をかけてくれる他者がいるから、こんな感じでいいんだと思って安心する節があります。

 

 5) 自分の弱いところを言葉にした時に、それをまるっと受け止めてくれる他者がいるから。

 

(また他者でした)

 

6) 今の自分に自信を持たせてくれるような出来事が、いくつかの領域であった(ある)から。

(車の旅🚗に例えると、運転技術に対する自信でしょうか。)

 

「少なくとも今、その(とても小さな)領域においては自分くらいにしかできないっぽいぞ…」と思えることが、ちょいちょいあります。それが自分への自信に繋がって、さらなる高みを目指す意欲を高めたり、実際に行動に移す際の自信に繋がったりしている気がします。

 

 

………

 

…面倒くさくなってきました。_(:3 」∠)_

 

なんでアクセルを踏んでいるのか?

いろんな要因が集まって、その状況を可能にしているっていうことでしょうか。🚗💨

 

……

 

話は逸れますが、今の自分の思考の仕方の当たり前、当たり前になってしまっていることを可視化して、本当にこれが最適なのか?と、積極的に見直しをしていかないと…と思います。

 

正直、小学生の頃からあんまり変わっていない部分は、この際にちゃんと見直していきたいと思います。